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「求職者」としては、採用「基準」は、客観的に検証でき得るものになって欲しいよね

bLogosに、議論『就職活動中の学生に「不採用の理由」を教えるべきだと思う?』が掲示されている。

注目したいのは、リード文に引用されている、「反論」として補足まとめされている【1.企業の負担が増える、2.学生の改善の役に立たない、3.落とされた理由を聞かされたら心が折れる学生が増える】という部分。

悲しいかな、この「日本」という社会では、《年齢制限のない、通年採用》は、まだまだ、まだまだ、レア、と言って良いだろう。
そんな状態では、 【求職者】側は、(ブラック企業ではない)企業への求婚を、見事成就できなければ、「残りの人生」プラン(次世代の誕生→新たな労働力の育成)迄を含めた練り直しを迫られ、場合に拠っては「この労働収入では、次世代の育成迄は、不可能」→「クラスチェンジでリスタートしよう♡」→「うぐぐっ。求婚しようにも、そもそも《出会う為の機会》に遭遇できないではないかっ」ってな、負のスパイラルに落ち込む事もあろう(ひところの言葉で言う【勝ち組からの脱落】)。
で、 連鎖して、出生率の低下→(賦課方式)老齢年金の供給層の目減り→(賦課方式)老齢年金の制度崩壊、ってことになってくる。

そうすると。
先日掲載した「形ができてない人が形を崩しても、只の形無し。」「マトリクス構築が成ってない状態では、無駄弾を散蒔く確率の方が高い。」ってのに通じると思うけど、

「材料(採用基準)」x「調理法(体得スキル)」x「味付け(売り込み)」→「美味な料理(「幸福な人生」を過ごす為の環境基盤)」

の方程式に倣うと、「調理法」「味付け」の選び方のどれを換えるべきなのか、換えないで「材料の調達先」を隣町(更に隣町、もっと離れた所)のお店に変更するべきなのか、或いは、その両方、のいずれを試みるべきなのかが不安になるのだよな。
で、《年齢制限のない、通年採用》システムが確立されてる社会では、この試行を気楽に実施できるだろうけど、現在の日本では、業種・職種・年齢・性別の組み合わせに、制限が設けられてるのだよね。
であるからして、「弊社での不採用の根拠」を客観的に検証できる状態で明示してくれたら…と望むのですよ。
※その前提には、「正当な、客観基準」が事前明示されている事ってのがあるけど。
※「正当な」ってのは、求職者個人の、それ迄の育成環境に追いて「明らかな不随意」とは呼べない基準である事、としよう。

こう考えると、補足まとめされてる【学生の改善の役に立たない】【落とされた理由を聞かされたら、心が折れる求職者が増える】ってのは、眉唾な根拠に思えてくるのだよね。
厳然とした「基準」が存在するなら、それを明示しない、積極的な理由なんてないだろう。
明示できないってのは、換言すると、「明示すると、逆にこちらの品性・人間性が問われる。真摯な姿勢で検討してないって攻撃されるのが怖い。」と自ら証明してるとしか思えないよね。

「売り手」から見ると、「買い手」が「商品」を買ってくれない理由には、必ず、明確な理由が存在すると思うもの。
「買い手」からすると、「売り手」の示す「商品」を買いたくないって場合には、必ず、明確な「基準」が在るもの。
『私(買い手)が、良いなと思う商品がないの』と思ってる「だけ」で、「こんな具体的・客観的基準を満たす商品が欲しい」と表明しなければ、その「商品」を入手する機会は無いもの。

システム開発の会社での営業・受注サイクルでは、上記3文は、ありふれたもの。
そして、受注コンペティションで破れた会社が、「敗退理由」をヒアリングするって事も、よく在る話し。
故に、これを「求職者・採用者」の関係にも適用するのは、けして、無茶な話しではないと思うのだ。

ひところ話題になったドラッカーさんの経営論にも、真摯に向き合え、ってなフレーズがあると思うけど、真摯に求職者を篩(フルイ)に掛けているのなら、堂々と不採用基準を開示したらよいじゃん。
換言すると、ドラッカーさんの経営論に倣うと、真摯に取り組んでないなら、そんな人は、経営活動や採用活動にタッチするべきじゃない

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